2017年2月4日
冬の盛りの週末
最近マイカーでドライブに出かけていないなぁと思い立ち
スタッドレスタイヤを履いている事だしと、雪を眺めるべく午前7時頃に東京の自宅を出発
外環道~関越道と、目立った渋滞につかまることもなくお昼前には群馬県は伊香保温泉付近まで到達
ちょうどお昼ご飯時、このあたりに来たら良く使っている「水沢うどん」屋さん
田丸屋さんです。
お店が面している上毛三山パノラマ街道沿いには「水沢うどん」屋さんがいくつかありますが、こちらのお店が比較的回転も早く快適にお食事ができる気がします。
「水沢うどん」は水澤観音付近で、参拝者向けに供されたのが始まりと言われている手打ちうどん。
強いコシとつるつるとした喉越しで、夏に食べるとなかなかに美味です。
田丸屋さんは、ゴマだれがありこれがまたなかなかに美味しいのです。
腹ごしらえが済んだら、再び車に乗ってドライブの再開です。
延々と北上して行くと車窓から遠く見えていた、真っ白に雪化粧した谷川岳が近づいてきます。
猿ヶ京に差し掛かろうかと言うところで少し道をそれてみると、古い町並みの入り口に道の駅があります。
その名も、「たくみの里」
前景を撮り忘れましたが、この日はよく晴れており青い空と古い町並みのコントラストがとても綺麗にマッチしていました。
この「たくみの里」は、三国街道の街道筋に整備された「須川宿」で、相俣宿と今宿の間の宿場町。
そのそも三国街道とは、中山道の高崎から分かれて北陸街道の新潟県長岡市の寺泊に至る街道で、かなり古い時代から使われていた交通路。
あの上杉謙信も使ったと言われている街道で、江戸時代には参勤交代に利用される程だったそうです。
下道でのんびりと来たせいか、この道の駅に着いた時には既に街道沿いのお店はどこも暖簾をしまっており閑散としていたので、少し歩いたら再び走り始めます。
引き続き国道17号で山を登っていくと、閑静な温泉街の「猿ヶ京温泉」にたどり着きます。
今回はこちらには立ち寄りませんでしたが、都会の喧騒を忘れてのんびりしたいときには打って付けの良い温泉郷です。
三国街道の猿ヶ京関所を横目に見ながら走っていくと、いよいよ道は山岳路の様相を呈していきます。
ただ、平行する関越自動車道で群馬-新潟の県境を越えようとすると、山岳トンネルとしては日本最長の10kmオーバーを誇る関越トンネルを使うことになりますが、こちらは危険物積載車は通行禁止ということもあり、三国街道の国道17号は古い峠道にしては多量の大型車が行き交う為、一般車の私からするとかなり高規格な道路に感じる程です。
登るにつれ勾配がキツくなってくると、目の前に「三国トンネル」が目の前に現れます。
今回のドライブの目的はこのトンネルをくぐること
この三国峠は明治10年に国道に指定されたものの、その後もう一つの県境をまたぐ清水峠にその役目を奪われたものの、過酷すぎる冬の清水峠は次第に荒廃
大正時代に入るとほとんど廃道同然状態になり、再び県境をまたぐ重要な峠として昭和に入ってからこのトンネルの開通後に国道に昇格しました。
ちなみに戦後に再開された改良工事により、日本で最初に「クロソイド曲線」を採用され、今は記念碑が建立されています。
(クロソイド曲線についてはいつか書きます・・・)
さて、話はトンネルに戻して・・・
「三国トンネル」は昭和34年に開通した歴史あるトンネルで、既に開通から55年以上も経過しており、実際にくぐってみると老朽化が進んでいることがわかります。
実はこの写真、トンネル坑口手前に橋があるのですが、ここから左側を覗くと真新しい橋脚が立ちあがっています。
「新三国トンネル」の建設が進んでおり、そう遠くない未来に、現「三国トンネル」は役目を終えるかもしれません。
そんな古いトンネルの勇姿を見たかったのです。
トンネルを見て満足したので、そのまま新潟県に入り山を一気に駆け下ります。
三国峠の新潟県側は、群馬県側に比べて緩やかな線形で走りやすいのです。
湯沢あたりまでくるとまたしても宿場町の雰囲気を残した町が広がります。
こちらは塩沢宿
郷土の文人にちなんで「牧之通り」と呼ばれています。
江戸時代の宿場町の風景を再現しており、雪国ならではの雁木(がんぎ)が整備されており、昼間はなかなかのにぎわいを見せるようです。
こちらで日本酒を数本購入して、良い時間なので帰宅開始。
思い付きで出かけた割りには思いのほか遠くまで来てしまいましたが、冬の風景を満喫した良いドライブでした。
走行距離:531.0km