もう12月だと言うのに、まだまだ暖かい日が続いていますが、11月の中頃から長崎へ出張!
出発の地はもちろん羽田空港
飛行機に乗るのは2年ぶりなので気持ちが高ぶりますw
賑わう第2ターミナルからANAとソラシドエアのコードシェア便で長崎を目指します。
今回はソラシドエアの機材での運行でした。
レジ番号は「JA810X」機材は新し目のB737-800シリーズです。
夕方のフライトであったため、テイクオフしてしばらくすると外は夕焼け
強い光が次第に低くなり
やがて空を一瞬の朱に染めて、水平線に夕日が沈む様は圧巻
普段生活している地上ではなかなか見られない景色は、飛行機の楽しみの一つですね。
待ちに待った休日を迎えて、観光へ向かいます。
人生で2回目の長崎、ずっと行きたいと思っていた「軍艦島」に行こうと思っていました。
ところが、台風の当たり年だった今年は軍艦島も被害を受けて、観光エリアが壊滅状態
復旧工事中の為に上陸出来ない事が判明したので急遽街歩き観光に切り替えることに…
何の下調べもせずに始めた観光
ホテルが近かったこともあり、まずは定番の平和公園へ
この日は3連休の真ん中
観光にはうってつけの快晴!
2013年に完成したというエスカレータのおかげで、階段を上る苦労なく公園のある丘へ登る事ができます。
エスカレータを登って最初に目に入ってくるのはこの噴水
「平和の泉」
正面の石碑には「あの日のある少女の手記から」と書かれて、原爆投下時の生々しい一文が刻まれています。
奥には「平和祈念像」が静かにそびえるのも見る事ができます。
近づいてみるとその大きさを実感することができます。
左手には原爆資料館が整備されており、勉強することが出来ますが今回は寄らず。
平和公園は1945年(昭和20年)の8月9日に投下された原子爆弾落下中心地と、その北側の丘の上とを含めた場所に、平和を祈って設けられています。3つのゾーンから構成されており、その広さは約19ヘクタールもあるのだとか。
まれに平和記念公園なんて呼び方もされていますが、正式には平和公園なのだそうです。
さて、この平和祈念像の脇を通って行くと、少し開けた展望エリアがあります。
ここからは、赤煉瓦が綺麗な浦上天主堂を望むことが出来ます。
この丘から浦上天主堂へ向かうには…
こんな階段を下っていかなければなりません。
戻ってくるのが辛そうです…
〜原爆により崩れ落ちた浦上天主堂の鐘楼〜
いよいよ天主堂に近づくと、敷地の脇になにやら観光用の看板があります。
看板の正面には地面に半分埋まっている構造物が
これは原子爆弾の炸裂によって破壊された浦上天主堂の鐘楼なんだそうです。
ほとんどが破壊された天主堂、その後かろうじて残っていた堂壁や鐘楼も崩れ落ち、一部の堂壁だけが残りました。
崩れ落ちた鐘楼の一つ(重量約50トン)がこの目の前にあるもの
当初は川底に埋まっており川を塞いでいる状態でしたが、爆破破壊して川の流れを回復しようとしたものの、当時の状況で火薬を使うことができなかった為、川の流れそのものを変えて川を回復させたという話もあるようです?
爆心地にほど近いこの辺りは、17世紀初頭に始まるキリシタン禁令の時代からカトリック信徒の多い地域で、原子爆弾はこの聖地に炸裂して約12000名いた信徒のうち実に約8500名が犠牲となったそうです。
冥福を祈り、二度と惨禍が繰り返されないことを祈って保存されているのです。
そんな鐘楼を見た後、いよいよ天主堂へ
ホントに天気がよくて最高のロケーションでした。
青い空に、赤く輝くレンガの教会が神々しいまでに映える様は圧巻
教会内部は撮影する事ができませんが、ステンドグラスの窓から斜めに降り注ぐ七色の光が規則正しく等間隔で教会の前方まで続く様は言葉で言い表せない絶景
静かな空間に飲み込まれるような雰囲気でした。
やはり教会は晴れた日に訪れるのが良さそうですね。
原爆により倒壊した浦上天主堂ですが、昭和21年に生き残った信徒達の手でまずは木造の仮聖堂が建設され、その後昭和34年に現在の鉄筋コンクリート像の聖堂が再建されました。
教会内部には瓦礫の中から奇跡的に発見された「被爆マリア」像が安置されており、被爆の実相と平和の大切さを伝えています。
フラフラと訪れた平和公園と浦上天主堂ではありましたが、思いのほか濃い時間を過ごすことができました。
まだ昼前、観光はまだまだ続きますが長くなりましたので「その2」へ続きます!